多様性を認めない社会に公共スペースは存在できないのではないだろうか[ニュース拾い読み]

香川県の町の交流施設で、人気があったスペースの設備が4月にほぼ徹去されることを伝えたニュース。

経緯を詳しく追っているので引用させてもらうと、問題になったのは旧職員室のリノベした「談話室」。

文字どおり老若男女が利用する、居心地の悪くないスペースだったようだ。

この施設の管理は町から委託を受けた一般社団が担っていたのが、年度末の3月で契約満了、管理が町に移るタイミングで現状復帰”すことになり、個人的な好意で持ち込まれていたゲーム類やコミック本などの撤去が求められたというもの。

「談話室」が注目され、人気のスペースになったのは、そのゲーム類やコミック本に拠るところが大きかったようだ。

それらを持ち込んだのが、館長を務めた一般社団の理事で、 地元っ子の映像クリエイター、幡多正樹氏。

どちらかと言えば高齢者向けのイメージだった「談話室」に子どもを呼び込むため打った手がゲーム類やコミックだった。

それらは町の負担ではなく、自腹で購入していたというところも、今回の騒動のキーポイントになっている。

こうして、利用者のニーズを迅速に反映できるメリットを活かして人気を得た施設だったものの、指定管理期間の終了をもって「打ち切り」という町側の判断が下されたという。

継続されない理由は例によって町側の「総合的判断」という不明瞭なものだが、背景には高齢者がゆったりと過ごせなくなるほど子どもたちが押し寄せてしまったことがあったと見られている。

この施設がある地域の高齢化率は52.2%と、県内平均の31.8%を大きく上回っていて、だからこの施設の前身である中学校も閉校になったわけだ。

そして、跡地を活用して(人口減少や高齢化といった)地域課題の解決を図るための組織を立ち上げ、その拠点とすべく開設されたという経緯がこの施設にはあるのだから、今回の指定管理の打ち切りに伴う一連の

町側の仕打ちには、なんとも残念な、本末を転倒させてしまったのではないかという印象が残ってしまった。

ここ数ヵ月でも、長野の公園閉鎖や札幌の休憩スペースで起きた事件など、公共スペースの在り方にまで及ぶようなニュースが頻発しているように感じる。

コロナ禍のストレスによる「〜警察」の延長上にもあるのではないかと思う反面、もともと「誰でも」「自由に」という縛りのない環境になじみにくい国民性があったりもするのだろうか。

いや、世界を見れば、無法地帯でさえ闇の支配が必要であることを考えると、「誰でも」「自由に」のロールモデルを実証し、地域ごとの特性を軸とした自由のための秩序づくりとリテラシー教育(啓蒙活動)は必要なんじゃないだろうかと思ったりもする。

それだけに、一定の成果を出していた「ことなみ未来館」の“実証実験”が不明瞭で中途半端なかたちで打ち切られてしまったのは残念な気がする。