渋谷区に設置されたダイバーシティ共用トイレに関する問題について

渋谷区では「バリアフリーやユニバーサルデザインの考えに加え、多様な利用者の視点に立ち、人種・性別・年齢・障がいなどに関係なく、ハード・ソフト両面から誰もが使いやすいトイレ環境を整備」する一環として、区内の幡ヶ谷に共用トイレを設置。

その形状と運用について議論が巻き起こっています。

当初はTwitterで渋谷区議会議員が「渋谷区が女性トイレを廃止する方向性」という発信をしたため、ダイバーシティとは逆行するのではという論旨で炎上。

しかし、これについては渋谷区が「今後のトイレ整備について女性トイレをなくす方向性など全くございません」と公式に否定しています。

それとは別に、この共用トイレの配置などについて、防犯上の不安があるなどの声が上がっています。

盗撮や、待ち伏せによる性犯罪リスクが高まるという意見はもっともだと思います。

論客からも意見が出ていましたが、ダイバーシティを推進することと、犯罪を防ぐことは、まったく別の問題として取り組まなければならないと思います。

この手の問題でよく引き合いに出されているのが、「性自認は女性だけれど、男の身体のままの人が女風呂に入ってきたらどうするのか」という意見。

この意見も「誰目線?」という疑問をしっかりと考えていたほうがいいでしょう。

どのTV番組かは失念しましたが、当事者が「センシティブな問題で悩んでいる人が、そういう無神経な行動はとらない」と言っていました。こちらのほうが共感できそうですね。

なりすましで「覗き」をはたらこうとする輩は犯罪者なわけですから、犯罪者を取り締まるという視点で対策を推進していくことがまずは求められるはず。

それとダイバーシティやジェンダーに関する行動の自由の問題を絡めるのは論点が逸れるわけですから、当然、取るべき対策も異なるとして、別に考えなければならない。

そういう「切り分け」を冷静に実施しながら、いろいろな事情が錯綜する社会を少しでも「生きやすく」するために、個々の問題を解決していく、という姿勢が求められるのではないかと思います。

ダイバーシティ(多様性)については、目的を絞り込むためのSDGsのような理念に具体的には反映されていません。

しかし、多様であるべき人間の存在を認めるという意味では、すべての目標に通底するものであるとも言える。

そういう意味でも、曖昧なダイバーシティという概念を公衆トイレという具体的な物体へ“落とし込”もうとしたこの渋谷区トイレ問題は、起きるべくして起きたものであり、結論ではなく議論のきっかけであってほしいと思うわけです。

SDGsとは:https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/pdf/SDGs_pamphlet.pdf

なお、ニューヨークでは共用トイレを推進するかなり強力な施策があるようです。

2017年から「共有スペースのないトイレはすべて『ジェンダーニュートラル(性別不問)』にすることが義務づけられ」ているようです。

この条例については、行き過ぎたポリコレという意見もあるみたいですね。もちろん、すんなりと解決しない問題を、まずは行政が先頭に立って解決案を提示、それについて議論するという流れがあるのは、さすがだと思います。

共用トイレの詳細についてはこちらがメーカーらしい視点でレポートしています。