長野の公園廃止問題をNIMBYに絡めて考えてみる
長野の公園問題についてはこちらを参照してください。
この問題を掘っていたら、NIMBYという言葉に出逢いました。
NIMBYとは
NIMBYというのは、Not In My Backyardの略。
日本語にすると「我が家の裏庭には置くな!」になります。
上記の記事にある「嫌悪施設」の指す言葉ですね。
NIMBYについては、公共として必要な施設だという認識はあるけれど、それが自分の家のすぐ近くに建設されるのは嫌だから反対するという住民の指して表現する言葉のようです。
対象となる施設は原子力発電所や廃棄物処理施設、火葬場、幼稚園、ダム、精神科病院などなど。刑務所や留置施設などもニュースになったりしていましたね。
主に、「衛生」「風紀」「騒音」の懸念があることで反対意識が芽生えてしまうようです。
NIMBYは是か非か
民主主義国家で意見を言うのは自由。
しかし、誰か、もしくはなにかが犠牲にならないと共同生活に支障がでる事象もあることは事実なので、その犠牲のために自由が制限されるのも(多数決によって決められる)民主主義国家のルールだったりします。
そのため、「あくまで反対」と論を飲み込まない人を、公共の利益を考えない「自己中心的な人」と断じて批判の対象となったりすることが多々あります。
施設の利益を享受する大多数の「受益者」と、その施設のために物理的・心理的被害を被る少数の「受苦者」の感情の乖離は、(往々にして正論とされる)一本の論理ではまとめられないというのが現実です。
また、「受苦者」の反対心理を煽るものとして、「受益者」の無関心も指摘されます。現状を知らないから安易に「みんなのためなのだから少しぐらいの不便や不具合はガマンすべき」といった論を展開して、「受苦者」の神経を逆なでする、というわけです。
解決に向けて・・・
こうした問題は相隣関係でも発生しますが、多くは行政の仕事の範囲で顕著でしょう。これも責任者の「顔が見えない」ことが、「受苦者」の反対感情をエスカレートされているものと思われます。
「説明会を重ねる」など「顔の見えるコミュニケーション」が解決策のヒントになるのではないかというところから、絡まったヒモをほどいていくしかないのかもしれません。