アフリカ系アメリカ女性の精子争奪戦を報じた記事はアンコンシャスな差別の筺を開けてくれる[ニュース拾い読み]

アメリカの精子バンク市場と、アフリカン・アメリカン女性の需要と供給のバランスが破綻している現状をレポートした米「ワシントン・ポスト」紙の記事。

記事を一読した印象は、近未来小説ではないかと思うほどアメリカの精子バンク市場が確立し運営されているということ。

そのうえで、最初はなぜアフリカン・アメリカン女性のニーズが満たされない状況が問題なのかが、よく飲み込めなかった。

単純に考えれば、アフリカンであることによるマーケットからの排除という差別があるのかと思ったのだけれど、そうでもない。

記事には経済的背景の異なる複数の女性のケースを紹介。つまり、貧困に紐付く話題というわけでもないのだ。

米「ワシントン・ポスト」紙の分析では、「米国の4大精子バンクに登録するドナーのうち、黒人の割合は2%未満とごく少数にとどまる」とのこと。

その理由は、精子バンクが黒人ドナーを募集できていないという人種偏見もあるが、そもそもドナー登録に「3世代前までさかのぼって病歴を提出する必要がある」というハードルがネックになっているという。もちろん、重罪歴があればドナーにはなれない。

黒人社会では、タスキギー人体実験という「梅毒に感染した黒人男性に治療を施さず、症状悪化の経過を観察」というおぞましい過去があったり、医療制度内で残虐行為が行なわれてきた。それが医療機関に対する不信感を生み、ドナーになりたがらない傾向を生んでいるというのだ。

また、黒人女性が「子宮筋腫など生殖能力を損なう恐れのある疾患にかかる確率が高く、妊娠に関連した原因で死亡する確率は白人女性の3倍にものぼる」という報告があるのも影響しているのだろう。

ドナー不足の解決として、記事では「マッチングアプリやFacebookのグールプの利用」や「アフリカ系以外のドナーの選択」という事例を紹介しているが、それぞれトラブルもあることが併記されている。

「世の中には、アフリカ系アメリカ人の優れた男性がたくさんいます。おそらく彼らは、家族をつくるうえで自分たちがどれだけ必要とされているかを知らないだけなのです」という精子バンクの利用者の言葉は、家族、民族、国家といった概念を更新しなければならない破壊力をもっているのではないか──と気付かされた記事でした。